身近な自然や豊かさが出発点になる(谷内 茂雄さんの講演)
2017年3月21日 掲載
文:小野寺佑紀(レカポラ編集舎)
山に降った雨は小さな小川となってしみだし、いくつもの小川が集まって河川となります。上流から下流へ行くに従って河川は太くなり、その間に人々は水を使い、水を捨てます。河川と河川の間には、ため池や湖があることもあります。
このように、河川にかかわる地域全体のことを「流域」といいます。そして、その流域が健全に機能するように取りはからうことを「流域管理」といいます。
午後の講演者のお一人目、京都大学生態学研究センターの谷内茂雄さんは、この流域管理について研究してこられました。谷内さんのフィールドは、琵琶湖流域です。
田植えの時期にみられる、琵琶湖のもやもや
古今東西、流域管理というのは大変むずかしいものです。流域は広く、関係する人々はじつにさまざまだからです。たとえば琵琶湖流域には、琵琶湖で漁をしている人、琵琶湖に流れこむ河川の水を使って農業を営んでいる人、河川や琵琶湖を管理する行政の人などなどがいて、それぞれことなる意見や問題を抱えています。
谷内さんが取り組んできたのは、流域にいる一般の人たちの問題を解決しながら、琵琶湖の環境も良くすることができないか、というものでした。その具体的な例として注目したのは、「農業濁水」の問題です。
田植えがおこなわれる4〜5月ころ、琵琶湖の水面には白っぽいもやもやが広がります。これは、田植えの準備をしている田んぼから流れてくる泥水です。
泥水にはリンや窒素が含まれていて、それが短期間に大量に琵琶湖に流れこむため、琵琶湖は汚染されてしまいます。谷内さんたち研究チームが調べていくと、農業濁水の問題には農業の近代化が大きく関わっていることがわかってきたそうです。
昔は、「田越し灌漑」といって、上流の田んぼから下流の田んぼへと水を順々にゆっくりと流し、その水は琵琶湖に入る前にはため池を通過していました。泥や養分は田んぼやため池で沈殿し、琵琶湖には流れこまなかったのです。ところが1950年代から農業の近代化が進むと、それぞれの田んぼに“蛇口”と排水路がつくられるようになりました。蛇口をひねると、琵琶湖から吸い上げた水が田んぼへ流れこみ、使い終わった水は排水路から琵琶湖へ一気に戻るしくみになったのです。そのため水の使用量がぐんと増えました。また、ため池も必要ないのでなくなりました。その結果、農業濁水の問題がおきるようになったのです。
米づくりをしている人たちもこの農業濁水のことは気になっているのですが、どうしようもありませんでした。
身近な自然が相手なら、行動をおこせる
谷内さんたち研究チームは、泥水の量や化学成分、地域の歴史などを調べるほかに、地域の人たちに聞き取りをして、どういう問題を抱えているか、どんな理想を抱いているかも調査しました。そして、地元の人たちといっしょにワークショップを開いて、科学者が調べたデータを伝え、どうしたら問題が解決できるかをともに考えたのです。
その結果見えてきたのは、地元の人たちは、昔のような地域の自然を取り戻したいとか、地域の自然を大切にして豊かな暮らしをしたいと考えていることでした。そしてそうした身近なことならば、具体的に行動をおこすことができそうなこともわかりました。琵琶湖の環境を良くしようと言っても具体的な行動にはつながりにくいのですが、身近なことが相手ならば物事が動き出すのです。そしてそうした行動は、長い目で見ると琵琶湖の環境改善にもつながっていくことが予想されます。
谷内さんは、こうした考え方は琵琶湖流域だけではなくいろいろなケースで通用するのではないかと考えているようでした。「身近な自然」に注目して行動をおこすことで地域の課題が解決されたり、豊かさにつながったりすれば、流域のようなより大きなレベルの問題解決にもつながっていくかもしれない。このようなアイデアをもって、現在はさらに研究を進めているそうです。